始まりはホテルのオムライス。ポール初来日から現在に至るのJizoHat設立ストリー。
1968年
イギリスにポール誕生
1980年
EU金融施策に関するエッセーコンクールで受賞し、初来日。当時滞在していたホテルでのベジタリアン対応メニューはオムライスのみで、毎日オムライスを食べ続けた。
1991年
再び日本に戻るため、大分県の外国語指導助手として来日
1996年
オーストラリア移住計画の資金を貯めるため、広島へ移住。英会話学校の講師を務める
1997年
ナイトライフが楽しめない広島の街から大阪へ繰り出すことが多くなる
1998年
大阪移住計画を始める(オーストラリア移住計画はここで一旦保留になる)
1999年
大阪へ移住する前にもう一度広島の街を見てみようと努力してコミュニティに入り、居場所が増え、まさかの広島が楽しくなり始めた
2000年
自分でコミュニティに入れたら楽しくなる街。外国人在住者が集まれる場を作ろうと、GetHiroshima.comを立ち上げる。
2001年
当時は外国人在住者同士が情報を交換し合う掲示板として利用された
2004年
外国人旅行客が道端で迷う姿を見て、GetHiroshima City Mapを発行。ポール、ジョイ、デザイナーの3人でA4の三つ折りサイズをなんとか作り上げた。
2005年
英語のマップ等まだあまりなかった時代、発行してみると意外と好評で、年4回の発行を始める。
2006年
年4回の発行で疲弊し、年2回に減らす。
2014年
City Map発行の疲弊感に慣れたか、GetHiroshima Magazineを株式会社NINInbaoriのデザイン監修の元、発行することになる。
2015年
Magazineも年4回の発行で疲弊するが、広島の市民を間近で知ってもらうことで在住の外国籍の方にも広島の一市民として感じてもらえるような情報を届けたい一心で、その後も2018年まで全力で走りきり、15号までを発行した。
2016年
まだGetHiroshimaを知らないAyakaはカナダでの留学中、世界から見た地元広島への印象に驚き、英語で広島のことを模索する中で、GetHiroshima.comに巡り会う。
2017年
帰国後、ポールと出会い、GetHiroshima編集部で奮闘する。しばらくして、ポールは大学を辞め、GetHiroshimaの存続とインバウンド観光に注力するため、会社設立を決意。
2018年
株式会社JizoHat 5月24日 設立
2019年
インバウンド観光で全国を飛び回る
2020年
コロナ元年 地元広島のコロナ状況を日々伝えながら、gethiroshimaの在り方を改めて問う一年になった
2021年
来るインバウンド観光回復に向けて準備を進めながらも、今後は「Beyond Tourism」観光を超えて、新たなコミュニティ事業を創出していきたい。